今日は、阪神淡路大震災から11年・・・・ということで、職員からのコメントを書きます。
- 「なんとなく、地震は関東が本場と思っていた当時の私でした。あの震災以降、世界的に天災が多くなりました。防災への取り組みも各地で始まりました。しかし、福祉的な視点での防災や地域の助け合いの仕組みは本市ではほとんど手をつけられていません。
- あの悲劇のなかで無数の人たちが輝くような人間愛の行動を残して下さいました。震災を教訓として、確かな助け合いの仕組みを築いていくことが犠牲となられた人たちへの供養になると思って頑張りたいと思います。」
(HN)
- 「関西は地震も少なくええところやと思って暮らしていたのがコッパミジンに砕けたような11年前でした。炊き出しや西宮市社協の現地事務所へ応援に行き惨状を目にした記憶は一生忘れられません。まだまだ復興に至ってない方々も多いと思います。自分でできる応援を今後も続けて行けたらと思います。」
(まっちー)
- 「今日は会員募集で各地区へ配布する様式の梱包の作業中。アルバイトと震災の話になりました。''その時、私、小学生でしたよ''''既に社協で働いてたね''との会話の中で思ったのは、またあのような震災(災害)が起こったら私は、この社協で何ができるだろうかということでした。
- 震災後、特に「地域」の力を求める声が強くなったように思え、それは多分生活の中でつながりをつくっていくことが大事だし、その一役を担うのが社協なのだろうかと思うのでした。」
(Y.G.M.H)
- 「11年前・・・・。当時私は産休中で、仕事で災害復興支援はしておらず、義援金の送金ぐらいしかできませんでした。あの時、全国からたくさんの人たちが、かけつけボランティアという言葉が社会の中で大きく定着しました。
- あれから11年。私たちはあの震災を決して忘れてはならない。いつ、どこで、起こりえるかもしれない災害に向けた取り組みについて、真剣に考えていかなければ・・・・・・と思いました。
(がんちゃん)
- 「11年前のあの日、いつもと違う揺れで目が覚めましたが、私の周りでは特に変った様子もないため普段と同じように出勤しました。時間が経つにつれて、被害の情報が入ってきました。映像を見ても本当に近くで起こっていることなのかと思ったのを覚えています。
- 炊き出しなどで、現地にも行きましたが、多くの人が全国から集まってきていました。やはり、人と人とのつながりが人を支えているんだと思います。11年たった今でも、被災の痛手を負っている人はたくさんいます。それを支えていこうとするのも人だと思います。
- 私自身、これからもコミュニケーションを大切にしていき、周りの人にも伝えていきたいと思います。
(いるちゃん)
- 「私は、あの揺れに飛び起きて、すぐにテレビをつけました。臨時放送のアナウンサーが寝グセのまま、放送をしていたことを覚えています。何か大きなことが起こったと思いました。職場には車でいつもより早く出勤しましたが、いつもよりも渋滞はひどく、車内のFMでは刻一刻と被害状況が伝わり頭の中が混乱していました。どうしたらいいのか・・・・・・その数日後、職場に大阪府社協が西宮市社協に現地事務所を開設するので応援がいるとの連絡が入り、職場会議で手を挙げて、職場の先輩のバイクを借りて西宮へ・・・・・大阪から神戸へ・・・被災地に近くづくにつれて、辺りは真っ暗に・・・・車は災害支援の車両で渋滞・・・・なんともいえない雰囲気、臭い・・・あれから11年。地震以外にもさまざまな災害が起こる時代。地域防災計画も自治体ごとで出来ています。災害弱者。要援護者への支援、ボランティアの受け入れ支援なども計画には書かれています。災害などで迅速に対応ができるためには平時からの取り組みが大切だと思います。社協も含めネットワークを作り、地域と共に歩める社協でありたいと思い・・・行動!!!」
(職員T)