寝屋川社協職員の日記

寝屋川市社会福祉協議会の活動の中で「心に残った出来事」「地域の活動」を書いています。

あれから17年


2012年1月17日。1995年1月17日、午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災から17年。
東日本大震災が発生して10カ月と数日が過ぎた、今日という日。みなさま、どのような思いで過ごされていますでしょうか?

ここからは、このブログ管理者の職員Tの個人としての書き込みです。

阪神淡路大震災で、初めて全国の社協が被災地支援を段階的にシステム構築を行い、支援を行いました。私自身も入職して2年目でした。自宅もけっこう揺れ、テレビを付け報道をみながら出勤の準備をしました。車で当時出勤していたのですが、いつもより渋滞し、職場には遅刻した記憶があります。

職場のテレビを上司などがみながら被害状況が刻一刻つたわり、そしてその被害状況が分かるにつれて驚きというか強いショックを受けました。一番のショックの映像が「阪神高速の倒壊」でした。

その数日後、西宮市社協の事務所の一室をお借りして、全国からのボランティアの需給調整などを行う為の現地対策本部を大阪府社協が設置し運営をすることになりました。同時期に大阪府社協を通じて、兵庫県社協で現地の状況把握をする為、移動手段として「バイク」を貸してくれる人がいないかということで、先輩がバイクを提供することになり、私がバイクに乗って兵庫県社協の職員に手渡すこととなり、併せて西宮の現地事務所の立ち上げ支援も少しすることになりました。神戸につづく主要幹線道路は、全国から救援に向かう救急車両や支援物資を積み込んだトラックなどが数多く走っていました。
現地事務所では、2年目という事もあり、そんなに役に立った記憶はありませんんが、無線のアンテナ設置で屋上に上がった時、大きな余震にあい、足がすくみました。

その後は、計画的に職員が順次派遣され、私も2回現地事務所に派遣されました。事務所では、ニーズの調整担当、ボランティアの調整担当、避難所支援担当などを全国からの社協職員が担っていました。また、社会人で長期休暇を取得して活動にあたっているボランティア、学生ボランティアもたくさん詰めかけていました。

また、いまでいう「ボランティアバス」的に近隣の町から多くのボランティアがやってくるのに対しての活動の調整をしました。夜は遅くまで長期ボランティアとミーティングをしたこともありました。

今回の東日本大震災でも阪神淡路大震災以降、大規模災害を通じてシステムの精度を高めたものを基本としているように感じています。しかし、そのシステムも今回のような大規模、広域化し、地震津波災害という、今までに経験したことのない状況の下での支援には長期的、継続的な支援が必要となっています。

箕面市社協では、七ヶ浜町に対してプロジェクト的に支援を行い、豊中市社協も継続的に被災地へ職員を派遣を行ったり、豊中市内に避難されている方々への支援を様々な形で行ったりしています。それ以外の市町村でも、様々な企画、催しなどを、現在も継続的に行っています。大きなシステムとは別に、社協ごとで継続的な支援を行うのは新しい流れかもしれません。

また、阪神淡路大震災の時には、今日のようにインターネットは普及しておらず、情報は、テレビ、ラジオ、新聞というメディアが中心で、個人としては、電話を通じての安否確認m情報収集だったと思います。現在は、テレビ、ラジオ、新聞以外に、携帯電話、インターネットなどを通じて、個人個人発の情報も増えています。

情報が増えることで即応性が高まる一方、正確な情報を取捨選択が求められていると感じています。

寝屋川社協の日記は、2005年からスタートし、東日本大震災では、派遣された職員からのレポートを掲載したりしてきました。今後、災害支援としてブログなどをどのように活用していくべきか、、、、、課題もあります。

私、職員T個人として、1月17日、3月11日は、災害にあわれたみなさまへの想いを寄せるだけではなく、地域福祉活動を従事するものとして、様々なことをふりかえり、見つめ直す機会としても受けとめて行きたいと考えています。

(職員T)