寝屋川社協のつぶやき

寝屋川市社会福祉協議会・ボランティアセンターのつぶやきを書いています。

東日本大震災から1年。職員有志の想いを綴る

2012年3月11日
東日本大震災から1年
亡くなられた方の御冥福をお祈りするとともに、被災されました多くの方々に心よりお見舞い申しあげます。多くの人の祈りと願い、一刻も早い復興を願っています。

寝屋川社協では、義援金の受付、近畿ブロックを通じての職員派遣(宮城県:山元町、南三陸町気仙沼市
を行ったり、
寝屋川における災害ボランティア養成講座の開催などを行ってきました。

今日という日を迎えるにあたり、「1年」ということについて職員の呼びかけ、有志からの想いがあつまりましたので、この日記に掲載させていただきます。

○「変わってほしくないことと変わってほしいこと」

何事においても1年が経過すると、たいていのものは変化していくのが今の社会だと思います。
それで変わってほしくないものは、社会全員でがんばって支えあった気持ち。災害の怖さを感じた心。
変わってほしいのは、廃墟となった町が再び大勢の人が行きかい、活気溢れる町になること。
遠くから応援しています。

職員H.T

○「1年たって思うこと」

また同じ所に同じような震災が来るかもしれない
寝屋川の住んでいるところにも同じような出来事がおこるかもしれない、
その時、この1年前の震災を無駄にしないような取り組みができているのか。
準備ができているのか。ネットワークができているのかと思います。
震災当時は応急措置的に食べるものは、着る物はと生活物資レベルの応援だったが、
今は「無」から「有」へと生活の質、生きがいへと変化していることに対し、
支援の仕方もそれに治って対応できているのか。疑問ばかりですが感じています。

職員A.H

○「東日本大震災から1年という節目で考えたこと。思っていること」

災害支援で南三陸町に行かせてもらって、はや9か月になります。
テレビや新聞等で少しずつ町の復興のようすを見聞きし、うれしい反面、
仮設住宅での孤独死や、就職や雇用につながらない現状など聞くと、
まだまだ震災前の生活にほど遠い状況なので、とても胸がつまる思いです。
社協が取り組むひとつひとつの事業や活動は、普段から取り組んでいるからこそ、
震災の際にも大切であるということが、現地から戻ってきたときには強く再認識したし、
今もその気持ちは変わりません。
わが寝屋川で災害が起こったら・・。
今では、「もし」や「万が一」ではなく、
「いつ来てもおかしくない」という状況のような気がします。
だからこそ、災害対応だけでなく、いろんな意味でのリスクマネジメントについて、
職員だけでなく本会の役員や地域で活動しているボランティアの人たちも含めて、
真剣に考え、行動していかないといけないなって、つくづく思います。

職員Y.S


昨年南三陸町社協災害ボランティアセンター支援で、入谷公民館で作成していた
東北復興支援ゆめ多幸鎮という蛸のキャラクターの文鎮を購入して、家に飾っています。
あれから1年になりますが、いつも「オクトパス君」を眺めては、震災復興の願いは忘れたことはありません。
震災復興の道のりはまだ長いかもしれませんが、1日1日前進して、いつの日か美しい東北が戻ってきます。
私自身震災復興を祈るだけしか出来ませんが、精一杯応援できるよう1日1日大切にしていきたいと思ってます。

職員K.S

○「3.11から一年・・・雑感」

「3.11から1年」とのテーマで、特集番組が多く組まれています。
テレビ画面から放映される「南三陸町」の映像を見るたび、
「今、どうなっているんだろう・・・」と思ってしまいます。
6月下旬に行った時から変わってきているのかな、
住んでいる人たちがよかったと思える方向に変わりつつあるといいなと考えたりします。
仮設住宅の様子を伝える報道も多いので、6月に出会った方たちは、
今頃どうしているのだろう、地域の様子もどうなっているのだろう・・・
その後の様子を知りたいですね。
自分が被災された地域の社協職員だったら、その土地に残された方が、
いかに自分らしく生きられるよう支援していけるのか、
いかにして残された方たち同士の結びつきを作っていけるよう支援できるのか、
そして、その地域で暮らしていける地域づくりができるのか・・・などと、
いろいろ考え込んでしまっているかもしれません。
それでも社協職員として思うのは、これから生きていこうとする人たちと一緒に、
協力しあって、ひとつのことをやりとげられたら、次のことが見えるかもしれない。
ひとつひとつの積み重ねが、この地域に住むことにつながったらうれしいだろうなということです。

職員G.Y

○「被災地支援を振り返って今思うコト」

被災地へ行ってから一年が立ち、もう1年かという思いとまだ1年かという思いが胸の中にあります。
被災地支援のことを考えると何か夢の中のできごとであったように感じることがあります。
それは、被災地があまりにも私が暮らしている日常とかけ離れた空間だったからではないかと思います。
地震の前、津波の前はきっと私がくらす日常の空間と同じような空間が被災地にも広がっていたことでしょう。
それを思い、被災者のことを考えるとどうしようもなくやるせない感情になります。
被災地では現地の社協職員が本当に頑張っていました。
自身の身内が被災された職員も多かったと思いますが、
そんな悲しい感情は一切みせず奮闘する姿は感動的であり、
支援にいった職員が逆に勇気づけられる思いがありました。
5日間という短い期間ではありましたが、どんな状況でもベストを尽くす
という姿勢を現地の職員から学んだ気がします。
今、被災地では復興に向けた様々な取り組みが行われ、
仮設住宅などハード面の設備も私がいたころよりも充実していると思います。
ただ、ソフト面の問題、被災した経験がもたらす心の問題などは
これから長い時間をかけて支援していかなければならない課題だと思います。

職員A.K

○「今、想うこと」

3月11日午後2時46分は、ちょうどまちかど福祉相談所を行っていたときで、
建物がゆっくりと揺れだし、今までに感じた事のない、まるで船の乗っているかの揺れでした。
そこから、インターネットからの情報。相談員のご親類の方が関東にいてそこからの連絡などから
大きな地震!ということだけが分かりました。あの日からいろいろなことが私自身も変わったと思います。
震災前からCSWの取り組みについて、メールでやり取りしていた宮城県内の社協のワーカーの方のことが気に
なりました。被害の大きさからみて、すぐに連絡をすることが迷惑になるかも、でも大丈夫かな?と
葛藤がありました。
こちらからメールを送り、発災10日ぐらい後、連絡が取れました。

被災地には2回行かせていただきました。
2回とも、行く前の段階から、近畿ブロックからの情報以外に
社協ワーカーのつながりができた関係性から多くの社協ワーカーと事前
に連絡をとったり、先に被災地に入っていた職員から情報をもらったりと「派遣職員としていく側の役割」
などをイメージしながら現地へ行きました。
現地の職員といろいろお話させていただいたり、同じ派遣メンバーとして出会った職員
ともいろいろなことを話し、被災地への想い、派遣者としての想い、できること。しないといけないことなど
多くの事を語り合いました。
全国にいる社協ワーカーとのつながりを強く強く感じ、このつながりを今後も太く強くしなくてはなりません。

大阪に戻ってから「なにができたか?」と思うことがあります。あの町は?、あの人は?それは今でも・・・
何か被災地に置いてきたものがあるのかもしれません。派遣期間なのか、力不足だったのか、地域を理解して
いなかったのか?いろんなことが・・・・・
いつかきっと、被災地に置いてきたものを集めに帰りたいと思います。
そして、この震災が感じたことを日常の仕事に活かしていきます。
しっかりとした気持ちで日々を過ごしていきたいと思います。

職員T.T